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浜通りへの想い
「地震速報 福島県浜通り震度4」
あの当時、毎日のように流れるTVのテロップで「浜通り」という言葉を始めて知りました。
福島県のことを知らない私はてっきり「浜通り」という商店街のような通りがあるものだと思い込んでいました。
あの日から3年程経ったある日、福島県の川内村という場所に私は野菜工場の視察に行きました。
インターを降りて、最初に目に飛び込んできたのが廃墟のようなコンビニ跡。
当時はまだ崩れ落ちた屋根瓦の家の前をイノシシが堂々と歩いていたような頃でした。
東京から3時間程度の場所がまだこんな状況なのかと背筋がゾッとしたのを覚えています。
それから2年程経ち、双葉郡広野町の企業からのオファーで月に一度この地を訪れることになりました。
その時、初めて福島県の地図を調べました。
「福島デカっ!浜通りってこんなにデカいの?マジ?」思わず声が出るくらい驚きました。
少しご説明すると、福島県は日本で3番目に大きな都道府県です。
1位・北海道、2位・岩手、3位・福島です。
福島県の地図を横にして関東に当てはめると銚子から甲府までスッポリ入るくらい大きいのです。
新幹線が走っている福島市や郡山市が「中通り」、磐梯山や喜多方市などがある雪が多い地域が「会津」、いわき市から新地町まで茨城県から宮城県につながる海沿いの広大な地域が「浜通り」です。
商店街のようなイメージだった「浜通り」は実は13もの市町村が連なる広大なエリアでした…汗
会津や中通りに比べ、雪もほぼ降らず、気温も少し高い風光明媚な居心地のよい地域です。
とにかく空気が澄んでいて、思わす深呼吸をしたくなる、自然が豊か…でもちょっと風が強いのが難点…総じていえば非常に居心地の良い土地です。
その中でも一番好きなのは温かくて思いやりがある気さくな優しい人柄、でもその奥底には悲しみを乗り越えた強さがある、そんな地元の方々に触れるうちに私はすっかり「浜通り」の虜になりました。
しかし「仕事で福島に行っている」と話すと、大抵の方はこう質問してきます。
「え?大丈夫なの?放射能は?防護服着てるの?」と。
「そんなわけないだろ!みんな普通に住んでるよ!」
何度こんな会話をしたか数えきれません。
いい加減面倒になった私は「報道に惑わされずに、実際に福島に来て自分の目で判断しなよ!」と言うのが口癖になりました。
こんなこともありました。
私が非常に懇意にさせていただいている大先輩がいます。
あの当時、非常に苦しくツラいご経験をされた方です。
何度かあの当時の話を聞かせていただいているうちに、私はどうも違和感を感じるようになりました。
「自分は一体何をしに浜通りに来ているのだろう?」と。
私はいつの間にかあの当時のツラくて悲しい地元の方々の体験話に共感以上に引き込まれるようになってしまっていました。
「そんなことがあったから仕方がない、あんなことがあったから当然…」
あれ?そんな気持ちでいいのか?
そう振り返った時、私の中で一大決心が生まれました。
「俺は未来の浜通りを作りに来ている!だからこそ10年先の子供たちに誇れる街を作る!」と。
毎月一回、4年程通っていると変化がわかります。
人智がいかに凄いのかを実感させられます。
TVで見たあの状態が10年も経たずにここまでになるのです。
ちなみに初めて来たときにゾッとしたコンビニ跡は今ではこうなっています。
そんな「今」の「浜通り」は残念ながらなかなか全国報道されません。
報道されるのは「あの日、あの時」の「浜通り」のままなのです。
だからこそ、我々が今の「浜通り」を伝えたい、明るい笑顔を伝えたい、この街の素晴らしさを伝えたい、そんな想いでこの「浜さ恋」を作りました。
日本中、いや世界中の人々が「浜通り」を訪れ「その五感」で進化を続ける「今」を感じてもらいたい。
「浜さ恋」は言わば「浜通りの玉手箱」です。
この地で暮らす人々の温かさと英知が詰まっています。
百聞は一見に如かず、是非「浜通り」に足を運んでいただきたいと存じます。
2020.3.11「浜さ恋」PROJECT SWIMMY 実行委員会