過去の記事一覧

  • 相馬復興市民市場『浜の駅松川浦』

    東日本大震災による津波被害と原発事故に伴う風評被害。震災前は国内でも有数の良港として栄えた松川浦漁港。現在、港湾施設の再建は成されたものの、当地の漁業は『試験操業』を続ける状況にあります。今後、⽔産物に対する⾵評を払拭…
  • 尾浜子ども公園

    相馬市の復興のシンボルとなる施設として、津波で大きな被害を受けた尾浜地区に開園しました。 大きな風車をデザインした滑り台などの屋外遊具(10種類)のほか、サッカーコート1面分の芝生広場や、雨の日でも遊べるトランポ…
  • 相馬野馬追

    一千有余年の歴史を経て、今なおいきづく伝統の祭り。相馬野馬追は一千有余年の昔、相馬氏の祖といわれている平将門が下総国(千葉県北西部)に野馬を放ち、敵兵に見立てて軍事訓練を行ったのが始まりと伝えられ、現在では、毎年7月末…
  • 小泉八坂神社

    小泉八坂神社は元禄四年(1691)第五代藩主相馬昌胤公が、中村城の艮(うしとら・東北)の鬼門を護り、悪魔を祓う「牛頭天皇社」(ごずてんのう)としてお祀りしました。明治初代に八坂神社と改めましたが、今でも親しみを込めて …
  • 相馬神社

    明治12年 相馬氏の始祖『師常(もろつね)』公を御祭神とし、中村城(馬陵城)本丸跡に創建されました。 …
  • 相馬中村神社

    相馬神社の始まりは、社伝によれば今から一千余年前の承平年間(931~937年)相馬家の先祖、平の将門が下総の国猿島郡という所に妙見社を創建して戦勝を祈願、併せて国家安泰、国民諸行の繁栄を祈念したことに始まり、後孫師常公…
  • 「中村城跡」(馬陵城)

    中村城は、別名、馬陵城とも呼ばれています。昔、この地は天神山といわれ、中世にはその一部に館が構えられたこともありました。 1611年(慶長16)、相馬利胤が築城して小高城から移り、以後、明治初年に廃されるまで、260年…
  • 大洲海岸

    平成8年日本の渚・百選に選ばれた【大洲海岸】は、松川浦県立自然公園の潟湖と紺碧の太平洋を7kmにわたって仕切る白砂青松の美しい景観を持つ渚です。大洲松川ラインが開通し、そう快なドライブが楽しめます。平成23年3月11日…
  • 松川浦大橋

    砂嘴によって形作られた松川浦の浦口に架かる海上橋(全長520.3m)で相馬市道大洲松川線を通し、本土側の原釜(はらがま)地区と砂嘴側の鵜の尾崎地区を結び、更に松川浦南側の磯部地区とを短絡する役目を持ちます。松川浦漁港改…
  • 原釜尾浜海水浴場

    原釜尾浜海水浴場は遠浅の海岸で、比較的波の穏やかな海水浴場です。周辺には海浜公園や県立松川浦自然公園などがあり、海水浴場からは松川浦大橋を望むことができます。 …
2024年11月
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